腹は立てずに横にして

日々の想い、思い出話、雑然とした心の中を綴ります。
たまに毒っ気あり。

カテゴリ: あの頃

報道されると心が痛いです。

しかし山口県の2歳児さんが見つかったとのことで、本当に良かったとホッとしました。

それで思い出したことがあって…

全く行方不明とは関係ないですけど、小学生低学年の時のこと。近所の2年ぐらい年上の男子がいまして、友達と何人かで公園でドッジボールかなにかしていた模様。

で、ボールが溝に〜コロコロっと落ちました。そして蓋のあるところに入り込んでしまいました。

当然、それを取りに行った男子。溝に入る、そして手を伸ばすが、取れない。取れないどころかどんどん奥へ。

溝の蓋はコンクリートで固められていて上方に開かないタイプ。

ボールを取ろうと必死に手を伸ばして身体を入れているうちに…

あれっ抜けない(汗)

ということになってしまいました。

ということで、消防隊到着〜

最初は足を引っ張っていましたが、らちが開かないので、

重機登場!

ドリルでコンクリートの蓋を少しずつ壊して、男子の頭にコンクリート片が落ちないように慎重に。

そして1時間ほどで無事救出されました〜

周囲も安堵の表情。

何でこんなに詳細に分かったように書くのか…
一部想像の部分もありますけど、

野次馬!

で見に行って救出劇を見守ったからです。

田舎なんでね、なにか起こると見に行くものなんです😅

いいふうに書くと色んな目で見ているので抑止力が働くのです。

もうそんな田舎も少なくなってきたけれど、普通に近所の子供たちに何かあるかもしれないと、おばさんは気にしておくことにするよ〜(誰にも聞こえないけど)




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今日は「敗戦記念日」でしたね。

73年前の今日戦争が終わりました。

祖母のおかげで戦争の愚かさを早い時期から感じることができたことに感謝しています。

住んでいたのが田舎だったので空襲はなかったのですが、
隣が大きな街だったので空襲があったと言っていたなぁ。
その燃える炎の明かりがほの暗い空に見えたとか
(本当かなぁ・・・)
20キロぐらい離れているのですけどね。

そして今は「火垂るの墓」の舞台に近いところに住んでいます。

あれも悲しい物語です。
戦争孤児は悲惨な末路を辿ったひとが多いと思います。

あの大義をかけた戦争が終わったことで呆然となり、そこからどのように生きて行ったらいいか・・・

とりあえずお腹を満たすためにどうしたらいいか・・・
そんなことをこの「敗戦記念日」を期に誰もが考えなければならなかった時代。

考えるよりも先に行動するしかなかったでしょう。
生きるか死ぬかですから。

もう二度とこのような悲しい想いをしないように、知っている世代からのバトンを受け継いで行きたいと思います。

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私にはあるわけないのです。

でも小学2年くらいのときに、B29が襲ってきて、空襲警報が鳴るんじゃないかと冷や冷やしていたのです。

怖くて怖くて、毎年夏がキライでした。

これは昨日書いた祖母のおかげかもしれません。

というのも、
「B29がうちの家の上を通ってなぁ。田舎やから爆弾は落とさへんかったけど怖かったわ」
と、これまた毎年繰り返していたもので、空想追体験してしまったのかも。

だから、戦争番組を見ることが嫌でした。最近まで。全く興味もなかったのです。

でも最近、どのように負け戦をしていたのか、なぜアメリカは本土空襲したのかなど、NHK特集などで番組があるのを観てしまいます。

世界が不穏な雰囲気だからでしょうか。また同じ過ちを繰り返さないように「気分」とか「風潮」に負けてはいけないと思います。

そのために事実を知るのが大切なのではないかと思うのです。

ちきりんさんもおっしゃっていますが、決して被害者の面だけではないこともこの時期に思うのです。

利害の対立の解決策が戦争が必要ではないことを肝に銘じて。





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高校時代にポケベルブームが来ました。田舎の普通のまじめな女子高生だったので持つことはありませんでした。それから大学時代にもポケベルは存在していたと思うのですが、特に縁もなく持つこともなくポケベルの時代は終わりました。

大学時代の終焉と共に携帯電話を持つことに・・・当時はこんな電話でした。
携帯電話P
持ってたのはこれでしたね~これでメールもしていたのですよね・・・画面小さい。

それから特に使うこともなくなったので手放してから3年くらいは携帯電話を持たなかった記憶があります。特に不便もなかったし。

次に持ち出したのは2000年代の始めぐらいだったかなぁ。そのころには折りたたみ式の携帯電話が主流になっていました。4台くらい変えたかなぁ・・・4台目のアンテナが折れて通話ができなくなったので、スマホへ変更しに行きました。それが2011年の半ば。iPhone発売が2008年らしいので周りに少しずつスマホユーザーが増えてきたころでした。

最初のスマホはSamsung製のこれ
ギャラクシー

そしてまたSamsungに換えてからの今はHuawai p10 liteということで
日本製を使ったことがない・・・そこに別に意味はない。

Samsung2台目の終盤にSIMをマイネオに変更。それまで8000円くらい支払っていたのが2000円程度に。今まで何でそんなに払っていたのか・・・時代は変わったなぁと思ったのでした。

携帯電話を持ってから今のスマホまで7台。足かけ22年なので少ない方かもしれませんね。

新しい機器にあまり興味がないというのもあります。もっと耐用年数が長ければいいのですが普通に使っていても2年くらいが限界。これがメーカーの策略というやつでしょうね。

あとスマホはOSのアップデートが古い機種だとできなくなってしまって、できないことや動作の遅さにつながるという・・・なんか自分のせいでないことで機種変せざるを得なくなるのがつらいです。

今の不満は家のWi-Fiの速度が遅すぎてパソコンからつながりにくいこと。(某ケーブルテレビの契約でLTEなのですが安いけれど最低の速度のやつなので)
スマホも4Gにつなぐことが増えて通信料が増加傾向にあること。最初は3GBだったのですが最近は6GBが当たり前です。

思い切ってWi-Fiとケーブルテレビの契約を切って、マイネオの最大30GBにしてみてもいいかなぁと思うのですが、パソコンをテザリングすると1GBとかすぐに消費するので難しいかもしれません。

ということで携帯電話の歴史でした。

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北海道には計5回行っています。
その中でテレビの旅番組で最近思い出したのが、釧路。

釧路は道東の一番大きな都市で釧路湿原が近くにあり、海に面しているため街中には海産物市場もありで観光地です。

そんな釧路には20年くらい前に北海道好きな両親と四泊五日で旅した際に立ち寄ったことがあります。

事前に調べていたので和商市場に行って海産物を丼ご飯の上にお店で好きに乗せる勝手丼を食べたり、北海道三大橋の幣舞橋(ぬさまいばし)に行って美川憲一の「釧路の夜」の流れるボタンを押したりして楽しみました。


そして夜ご飯は芸能人も良く来るというとある炉端焼へ。干物が吊るしてあって雰囲気満点でした。しかしお値段表がありません。

うちの父は飲み始めるととても機嫌が良くなる人なのですが、こういったときだけ気が大きくなるというか…それで次々にお酒と食べ物を頼みまして…

最後にお会計したら3人で¥30000も掛かってしまいました…母親が出していましたが、あとで3人で「高すぎない?!」とちょっと訝しく感じたことを覚えています。

あんな田舎で一人10000円なんて!
私達も田舎もんだったので足元見られたんじゃないかと後味が悪い釧路の夜でした。

あのときはレンタカーで廻りましたがどこまでも同じ風景が続く大地に飽きてしまい、それからは札幌、函館、小樽といった街にしか行っていません。

これから先行くことがあるのかないのか分かりませんが、北海道のいろんな思い出を時々振り返りながら生きていきたいと思います。


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