腹は立てずに横にして

日々の想い、思い出話、雑然とした心の中を綴ります。
たまに毒っ気あり。

2024年08月

昨年末から始めたことがある。
それは「運転」である。

私はれっきとした「ペーパードライバー」だったが随分前から「運転したい」とは思っていた。
「ペーパードライバー」歴は30ウン年。
運転免許証を初めて手にしてから、2回しか運転したことがなかった。

【運転したいと思うようになった理由】
1)秘境に行きたい
私は辺境の地や秘境にとても興味がある。
また、廃墟になった建物や廃線跡をまとめた本を見るのが好きである。
これは人によれば悪趣味と思われるかもしれないが、とても心惹かれるのだ。

そこにどんな人が住んでいたのか、どんな生活をしていたのか、どんな電車が走っていたのかに思いを馳せると心が震える想いがするのだ。

また廃線ではなくても一日に1人しか乗降客がいない駅とか「けもの道」を通ってしか辿り着けない駅とか、いわゆる秘境駅の本も集めていた。

しかし、そういった場所に一度も行ったことがない。
秘境駅は一応鉄道が通っているから鉄道で行けるから置いといても
廃墟や廃線跡は大体がド田舎の山ぶかいところにある。
そうなると、車に乗って行くしかない。
自分の行きたいところに行けるようになりたいというのが第一のモチベーションだった。

2)通勤に車を使う人達へのあこがれ
いっとき番になって生きていた頃、最寄り駅から25分以上歩くところに住んでいた。
マンションが多い地域だったが、多くは30年超の建物だった。
新築で家族で移り住んだ人達は、社会での役割を終え、通勤という生業をやめていった。
だからバスの本数が激減していた。より一層「車」が必要となる地域となっていった。

転職して近場で働くことになった。
駅から離れていて不便な場所にあった。
ほとんどの人が車で通勤していた。

女性が多い職場だったが、そこで私は壊滅的に仕事ができなかった。
仕事ができる人がいた。その人は既婚者で子供が3人いたが、車で通っていた。
帰り道、スーパーで買い物して帰るのだろう。
私を追い越していく「車」は、自転車を漕いで帰る私には眩しい存在に思えた。
だから、「仕事ができる」=「車に乗れる」になっていった。
病んでいる・・・

もうひとつ住んでいるマンションの前に工場があった。
車を使って通勤が当たり前だった。
ベランダから駐車場を眺めながら、「車に乗りたい」とずっと思っていた。
その工場は大企業だったから、経済的安定感とないまぜになっていて車が象徴だったのかもしれない。
病んでいる・・・

3)親が高齢になってきた
ありがちだが、両親が後期高齢者に達するようになってきた。
小田舎に住んでいるため車は必需品である。
80歳を迎えても免許は当然更新しておられる。
免許取り立ての私が2回乗ったのは実家の車だった。

昨年練習を始めるまで、実家に長い期間帰っていても、一度も運転したことがなかった。
何でかわからないが。車を運転したいと思ってからもいくらでも練習できたのに。

年老いてきた親を見ていると
「この人達が運転できなくなったら私が病院に乗せていってあげなきゃ」
という謎の使命感によって、やっと実行する段になった。
今も一緒に住んでいないが、時が来たら私は嫌いだった小田舎に戻ると思う。


このように、私の運転したい熱はどんどんと高まっていったのだが、
さて、行動にどう移すかは次回に。







You TUBEで「失敗談」と検索すると
2chのまとめとかガルちゃんのトピまとめとか色々出てくる。

人の失敗を観ていると面白い反面、心がキューっとなるようなものもある。

【失敗の分類】
失敗は大きく分けて3つあると思う。
1)人の命に関わるもの
一つは医者、看護師、介護士、保育士等、人の命を預かっているいわゆるエッシャンシャルワーカーの失敗。
点滴、薬、アレルギー食・・・等、対象者に誤ったものを提供する。また、誤診もある。つまり死に直結する失敗ということである。即死もあるが数ヶ月、数年経って分かるというのもある。

こういった仕事をされている方は心から尊敬する。

食品を扱う工場、商店なども、一つの失敗が死に至らしめることもあるし、健康被害を長くもたらすものもある。

大事なことは笑って済ませられないことだ。
YouTUBEにはもちろん、命に関わる失敗を笑って済ませるようなものはない。
例え一時的にUPされていても、すぐに消されるのではないかと思う。

2)お金に関わるもの
二つ目はお金に関わるものである。
発注を大量にしてしまった、振込先を間違えた、が二大巨頭である。
逆に発注し損ねたとか少なかったとか機会ロスもある。

私自身はこの失敗が一番多い。
性格的に気が小さいので、機会ロスが多い。
ああ、これを発注しておけば売上が上がったのにぃぃという失敗。

それから、税金を減らすための申請しを期日までにしていなかったため、お客様に迷惑を掛けたこともある。

しかし、人の生き死にに比べたら可愛いもんだ。


3)人の感情に関わるもの
三つ目は、悪口を言っていたら後ろにその人がいた、誰もいないと思っておならをしたら好きな人が後ろにいた、とか。
あちゃーっていうやつ。憎まれたり、恥ずかしかったりで顔が赤くなるもの。
これはシチュエーションによるけれど、死よりまし。


【失敗への対処法】
さて、失敗の対処法の始めは、すぐに報告相談することだと思う。
(上記、失敗の種類の3)は違うけれど)
気づいたらできるだけ速やかに。

次に、影響範囲を調べること。拡大しないようにするために。
例えば、私の失敗の「申請漏れ」であれば、他の案件も同様のものがないか確認すること。

続いて、一次対応で対象者への連絡、謝罪。二次対応で救済策を考えてやってみる。

その後、原因を探ること。(緊急度にもよるが)
一つの失敗の背景には「5つ以上の原因がある」と私は思っている。
先ほどの例で言えば、
1)その期日でなければならないことを知らなかった
2)受注してから○日以内に申請する必要があると思い込んでいた。
3)案件を一覧にして会議で確認していたが指摘ができない雰囲気だった。
4)部内全員が就業後、1年以内のひよっこだった。
5)私ならできると私も部内のほとんどの人が思っていた。

自分自身を顧みることはもちろんのこと、周囲の思い込み、場にみちる雰囲気等も洗い出す。
人のせいにすることなく、というのも重要だ。あくまで客観的に。

これが対応策につながる。
そして、原因を共有することによって、同じような失敗を組織的に繰り返さないようにする。


【失敗しても人生は続いていく】
数々の失敗を重ねてきたが、私は焦る気持ちの隅っこの方でこう思っている。
「失敗しても10年後の私は笑っているはず。人生は続いていく」
これは経験からくる実感だ。
(ただし、命の失敗は除く。私には経験がない)

思い出してください。
あなたのあの失敗、この失敗、笑えませんか?
あれがあったから成長したとか仕事ができるようになったとか。

だから、「失敗」で死ぬとか絶対にしないでください。

きっとその失敗はあなたの糧になるし、それを話すことで誰かを励ますことになるかもしれないから。
YouTUBEのように。








また1年経ってしまった。
月日が経つのは何て早いのだろう。。。なんて感傷はない。そりゃ早いだろうよとしか。

昨年からの一年は濃すぎて、1年以上の密度があった。

私の心を占めているのはほとんどが仕事であるが、
その濃度は薄かったり濃かったり様々であった。
しかし、この365日は人生の中でも一番濃い時期だったと思う。

なぜ濃い時期だったかを分析してみる。
仕事の内容については、あまり公開すると身バレの可能性があるので
かなりオブラートに包んで話さざるを得ず
なんのことかさっぱりわからないと思うが
ニュアンスだけ分かっていただければと思う。

1)自分の能力以上のことを求められ、応えていったこと
これはめちゃくちゃポジティブだ。
でも、ほんとしんどかった。辛かった。
ほとんど誰も助けてくれなかった(と思っていた)
しかし、人はこういった時に成長するものだなぁと感じた。

具体的には、
全く先が見えていない案件について、仮説を立てて実行すること
であった。

仮説・実行・検証
これはビジネスマンなら誰でも教えてもらったことがあるだろう。
PDCAサイクルってやつ。

今までの仕事を振り返ると着地点が見えているものが多かった。
サラリーマンて普通そうだと思う。
最初は見えていなくても経験値、先輩からの助言などで大体答えが分かってきて
自分なりの工夫の中で仮説実行検証をやることだと思っていた。

しかし、今の仕事は誰も着地点が全くわからない中を進んでいくというものだった。
だから誰に聞いても答えはない。世の中にも答えがない。
ただ完全なる間違いというものは存在していそうな感じ。
こんな五里夢中の中進んで行かなければならなかった。
そして、リーダーになってしまったものだから、
生来の真面目さとやらないといけないという呪縛から
がむしゃらに頑張った。

月日が経てば、今までの仕事のように、
着地点が見えてくる、そう信じていた。

目の前の仕事は流石に着地点が少しずつ見え始めて
手を動かすことができるようになっていった。

ところが、半年経っても1年経った今も
応用ができない。何も見えてこない。

そして、もう一つ辛いのが、
やっていることが合っているか間違っているかがわからないことだった。
だから検証ができているようなできていないような。
今回はうまくいったから、まぁこのやり方でいいのかな。
といった曖昧なものであった。
これは地味にストレスだった。

2)教えてくれる人がいない
今の仕事に入った頃、私より先輩は4人いた。
それが、3ヶ月目には一人辞め、10ヶ月後、1年後に辞めて
今は一人である。
この人は私より先に入っているが雇用形態の変更や私がリーダーになることになって
部下となったので、先輩というよりは、頼られる存在になってしまった。

上司は考え方を教えてはくれたが、実務のリーダーは私であったので
実質誰も教えてくれる人がいない状態だった。

そして部下は二人いたが、1)の考え方をするのが私より苦手な人達だったので
私が一人で背負うことになった。
辛かった。夢中でやっていった。そのうち疲弊していった。

これだけの人数辞めているのは、正直ブラックだ。
私が入る前も二人が次々に辞めたらしい。
そして派遣を二人雇うもすぐに辞めたらしい。
と、入ってから聞いた。

それを知っていたら、入社しなかったかどうかはわからない。
年齢も年齢なので、正社員転職を早く決めなければと思っていたため
耳に入ることはなかっただろう。
人間ていうのは自分の都合いいことしか、聞こえない生き物だと思った。

3)人間関係
これは、変な人もいなくてよかったのだが、
部下の一人と上司の反りが合わず
その間に入って通訳しなければならなかった。
部下本人も休んだり遅刻したりして辛かったと思う。
今は部下は何とか頑張っている。

ということで、この3点において
経験したことのない
濃い一年だった。


ここまで書いたらお察しの通り。
昨年も仕事のことを話題にしていて、
『続くかなぁ』的なニュアンスのことを書いている。
この私に伝えたい。

続かなかったよと。
正式に言えば、まだ続いているがもう辞めるよと。

辛いのを騙し騙しやってきただけだった。
1)に関しては、着地点は最初から「見えてこない」ことは自分でも分かっていたのだ。
非常勤で時々やってくる人がいるのだが、その人に尋ねたことがある。
「この仕事って慣れます?」
「いやー慣れないっすね」
自分が間違っていなかったことを確信した瞬間だった。


2)に関しては、助けを求めることができる人がいるというのは幸せなことであると分かった。
職場の中で一人でもいいからそういった人を見つけること。
私も部下の二人とは部下になる前は仲良くできていたが
仕事が絡むと難しい。
どうしてもやってもらう必要があるし、理解してもらう必要があるのだが
私自身がマネジメント経験が少なく、うまく引き上げてあげることができなかった。
そういった自分ができないことのイライラを部下にぶつけることが怖くて、
日常会話を話すことも少なくなっていった。

3)に関しては、上司と部下の問題なのだが、どうしても巻き込まれていた。
相性というものはどうすることも出来なさそうなのが分かった。
部下も一生懸命頑張っているのだが、上司が跳ね除ける。
それを見ていることにも強烈なストレスを感じた。


濃い一年はこの「辞める」という選択に集約されていると思う。

今の状況としては、辞意は伝えた。受け取ってもらったが、時期は未定。
なんやかんやと引き伸ばされている。
私が辞めたら連鎖するとか。

そんなん知らんがな。
もう引き継ぐ仕事もそんなにないし、閑散期であるので引き止められる理由は正直ない。

でも、自分の心身と時間を最大限に優先しようと思う。
もうやる気がないので、会社に行くだけで苦痛である。

早く辞める時期を確定させたい。

久しぶりのブログがこんな文章になってしまった。

でも人が書きたくなるのは、順境よりも逆境の時なんだよなぁ。

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