昨年末から始めたことがある。
それは「運転」である。

私はれっきとした「ペーパードライバー」だったが随分前から「運転したい」とは思っていた。
「ペーパードライバー」歴は30ウン年。
運転免許証を初めて手にしてから、2回しか運転したことがなかった。

【運転したいと思うようになった理由】
1)秘境に行きたい
私は辺境の地や秘境にとても興味がある。
また、廃墟になった建物や廃線跡をまとめた本を見るのが好きである。
これは人によれば悪趣味と思われるかもしれないが、とても心惹かれるのだ。

そこにどんな人が住んでいたのか、どんな生活をしていたのか、どんな電車が走っていたのかに思いを馳せると心が震える想いがするのだ。

また廃線ではなくても一日に1人しか乗降客がいない駅とか「けもの道」を通ってしか辿り着けない駅とか、いわゆる秘境駅の本も集めていた。

しかし、そういった場所に一度も行ったことがない。
秘境駅は一応鉄道が通っているから鉄道で行けるから置いといても
廃墟や廃線跡は大体がド田舎の山ぶかいところにある。
そうなると、車に乗って行くしかない。
自分の行きたいところに行けるようになりたいというのが第一のモチベーションだった。

2)通勤に車を使う人達へのあこがれ
いっとき番になって生きていた頃、最寄り駅から25分以上歩くところに住んでいた。
マンションが多い地域だったが、多くは30年超の建物だった。
新築で家族で移り住んだ人達は、社会での役割を終え、通勤という生業をやめていった。
だからバスの本数が激減していた。より一層「車」が必要となる地域となっていった。

転職して近場で働くことになった。
駅から離れていて不便な場所にあった。
ほとんどの人が車で通勤していた。

女性が多い職場だったが、そこで私は壊滅的に仕事ができなかった。
仕事ができる人がいた。その人は既婚者で子供が3人いたが、車で通っていた。
帰り道、スーパーで買い物して帰るのだろう。
私を追い越していく「車」は、自転車を漕いで帰る私には眩しい存在に思えた。
だから、「仕事ができる」=「車に乗れる」になっていった。
病んでいる・・・

もうひとつ住んでいるマンションの前に工場があった。
車を使って通勤が当たり前だった。
ベランダから駐車場を眺めながら、「車に乗りたい」とずっと思っていた。
その工場は大企業だったから、経済的安定感とないまぜになっていて車が象徴だったのかもしれない。
病んでいる・・・

3)親が高齢になってきた
ありがちだが、両親が後期高齢者に達するようになってきた。
小田舎に住んでいるため車は必需品である。
80歳を迎えても免許は当然更新しておられる。
免許取り立ての私が2回乗ったのは実家の車だった。

昨年練習を始めるまで、実家に長い期間帰っていても、一度も運転したことがなかった。
何でかわからないが。車を運転したいと思ってからもいくらでも練習できたのに。

年老いてきた親を見ていると
「この人達が運転できなくなったら私が病院に乗せていってあげなきゃ」
という謎の使命感によって、やっと実行する段になった。
今も一緒に住んでいないが、時が来たら私は嫌いだった小田舎に戻ると思う。


このように、私の運転したい熱はどんどんと高まっていったのだが、
さて、行動にどう移すかは次回に。